景行天皇皇子 日本武尊 能褒野墓 やまとたけるのみこと のぼののはか
神功皇后と同様に日本武尊も紙幣になっていました。 こちらは神功皇后ほどインパクトが無く平凡に描かれています。(あまり強そうには見えずなんかイメージが違うような・・・) 追加の制札が門の脇にくくりつけられていました。塩や米をまく人がいるのでしょうか。(笑) ここはたくさんの陪冢、域内陪冢がありますが、「域内陪冢ぬ号」「域内陪冢る号」「域内陪冢を号」以外は駒札が立っており見落とすことはないと思います。 陪冢は「飛地○号」という表記で、域内陪冢の方は「陪冢○号」という表記になっていました。 「陪冢い号」は細長い形をしており、駒札の地点から「域内陪冢を号」のあたりまで占めています。 「陪冢い号」の中に、「域内陪冢ぬ号」「域内陪冢る号」「域内陪冢を号」がある変則的パターンとなっています。 陪冢い号 本地より西側の陪冢と域内陪冢の回りは掘削の跡が見られました。 陪冢ろ号 陪冢は号 陪冢に号 陪冢ほ号 域内陪冢い号 域内陪冢ろ号 「宮内庁書陵部 陵墓地形図集成」に載っている「域内陪冢は号」と「域内陪冢ほ号」が、現地では逆になっていました。 どちらが正しいのかわかりませんが、Googleマップのマーカーは現地駒札に合わせています。 域内陪冢は号 域内陪冢に号 域内陪冢ほ号 域内陪冢へ号 域内陪冢と号 域内陪冢ち号 域内陪冢り号 域内陪冢ぬ号(陪冢い号内) 域内陪冢る号(陪冢い号内) 域内陪冢を号(陪冢い号内) 2014年9月6日再訪問しました。 西側のエリアは住宅が建ったり、公園ができたりしていて大きく様変わりしていました。
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